私と関ジャニ∞

 

 

途中で力尽きるかも〜と思いながら私も振り返ってみる。年は曖昧。

 

【2005〜2007】

2005年の夏にSMAPのファンになった。そこから私のジャニオタ人生が始まる。

その翌年くらいから私は親に隠れて深夜ラジオを聞くようになり、レコメンを聞き始める。とにかく面白くて明るくて下ネタもあって、ラジオってオモロ〜!と思いながら信五と横山くんの話を聞いていた。ラジオリスナーとしての感情。MDに録音して繰り返し聞いていた。

一方学校ではYa-Ya-yahJ.J.Expressが流行っていた(Hey!Say!7が結成され山田無双が始まる)。

私は学校のブラバンクラブ?に属していてバリトンサックスを吹いていた。クラリネットとテナーサックスの子がジャニオタだったので、土曜日の練習前に雑誌を貸し借りしたりグッズを披露していた。私はレコメンをカセットテープに録音してウォークマンを持って行っていた。ヘッドホンのボリュームを上げてスピーカー状態にして、3人でたくさん聞いた。練習終わりには駄菓子屋さんで青い紙袋に入ったジャニーズの非公式写真を買った(反省。なんか免許証みたいなやつも買ってた)。川越市民会館に関ジャニが来てるんだって〜、って話もした。が、この時点では私はエイト担ではなかった。

そんななか、イッツマイソウルとUMPのリリース時期が被りMステで2グループが共演した。有閑倶楽部が学校で流行った(知念くんも出ていた)。少クラでConfUsionを歌う横山くんがカッコよかった。などなど、色々なことが重なり関ジャニ∞のことをよく見るようになった。

あとこの頃のことでよく覚えているのは、家の車のスピーカーが変わったときにお父さんとイッツマイソウルを聞きながらドライブをしたこと。お父さんとの数少ない大事な思い出!

 

【2008〜2009】

うたばんかな?歌詞がぶら下がっているスタジオでワッハッハーを歌う関ジャニ∞をよく見た。何回も見た。47の映像もDVDが擦り切れるくらいみた。各地方を巡るDisk 3と4まで擦り切れるくらい見た。

部活が忙しくてコンサートには行けなかった。と、いま書きながら思い出したけど私はJUMPのコンサートに行っていた。Jr.のコンサートにも行った。そうか…。

PUZZLEの東京ドーム公演はめちゃめちゃ行きたかったけど、部活があったので諦めた。先輩の引退がかかっている大会の直前で、どう考えても休めなかった。が、先輩が「今日関ジャニのライブ行くから!休むって顧問に言っといて!」と頼んできた。私がめちゃめちゃ怒られた。今でもその先輩のことが嫌いで、まだ怒ってる。怒りのエネルギーはすごい。

この頃中学ではテスト前の部活が休みの期間に、みんなでカラオケに行くのが流行っていた。関ジャニ∞のみんなってこんなに器用で歌も作れるんだよ!!とドヤ顔でアイライロやstereoを歌った。

あととにかくお金が欲しかった私はMyojoの読者モニターとして毎月感想文を送り、5000円をもらっていた。

 

【2010】

小学生の頃ブラバンクラブでアルトサックスを担当していた子と同じクラスになる。オタクというほどではないが山Pが好きな子、という認識があった。彼女はきっと私のことをJUMP担だと認識していた。

いざ話してみたら、同じくらいの熱量で関ジャニ∞にハマっていたことが分かった。彼女は大倉担。ジャニ勉と関パニの話をたくさんした。亮ちゃんのordinaryってめっちゃいいよね!!!という話もした(それはNEWSですが)。修学旅行で奈良京都に行ったときには、「難波行き」の文字に興奮して2人で写真を撮った。大阪は憧れの場所だった。

2人でアリエッティを観に行く約束をしていた日に、8UPPERS(ライブ)が発表された。Jチケットでは戦えない!!という話になり、すぐに予定は変更。郵便局に駆け込みYou&Jに入会した。好きなアーティスト:横山裕、の「横山裕」がうまく書けなくて青い紙を何枚か無駄にした。ごめんなさい。

受験のことを考えながらも、夏〜秋はとにかくずっと楽しかった気がする。LIFEのロケ地巡りのため横浜に遊びに行ったり、ジョーカーの神隠しラーメンを食べに行ったり、四ツ谷でパッチのジャケットごっこもした。

塾に通うようになり携帯を手に入れたので、得られる情報量も増えた。デカすぎるラジカセで聞いていたラジオは、技術の授業で作ったコンパクトなものに変わっていた。モンハンレコメンでぶち上がってからのパッチ東京ドーム公演はとにかく楽しくて特別だった。人生〜

年が明けぬるっと受験は終わり、合格祝いに2人ともPSPを買ってもらいハンター生活が始まった。ギルバートグレイプとイフオアを見に行った。高田馬場から新大久保に行く途中で一瞬だけ見えるグローブ座の看板にキャッキャとはしゃいだ。

 

【2011〜2012】

アルバイトで初めて稼いだお金でT.W.LのCDを買った。夏にはアルトサックスの子と武道館に行った。とんでもなく寒くて8月なのに長袖を着ていた。トラストいかねぇと5大ドームは学校終わりに制服で行った。ガチ制服参戦!

憧れだった大阪(と京都)にも行った。夜行バスでイヤホンを分けっこして道標が流れてくるまで眠れないゲームをしたり、これがリアルタイムのジャニ勉か〜と興奮した。

とにかく楽しかったけど、学校とかバイトとか彼氏とか、他のものもとにかく楽しかった。

あんなに楽しみにしていた8周年の頃には私はニュージーランドにいて、八祭の存在すら認知していなかった。音楽はバンドとグースハウスを聞いていた。それでも春に横山くんがレコメンを卒業した、と知った時はさすがに寂しかった。

 

【2013】

相変わらずバンドとグースハウスにハマる日々。大学は推薦入試で決めるつもりでいた私は受験前日も彼氏と遊んでいて、下校中に東京ドームシティでデートをしていた。ちょうどその日JUKE BOXの初日で音漏れが聞こえてきた。うわ〜〜!!関ジャニ∞だ!!!!と思い、その夜も翌日受験に向かう電車でも終わったあともめちゃめちゃ関ジャニ∞の曲を聞いた。

アルトサックスの子は別の高校だったけど、なぜか同じタイミングで関ジャニ∞への気持ちが戻り2人で出戻り。黄色い掲示板でチケットを探して京セラ公演に滑り込んだ。

 

【2014〜…】

そこからはもう怒涛のオタク生活!!!!

大学生になってもアルトサックスの子と全力でオタクを楽しんだ。夜行バスで西と東何回も往復した。番組観覧にハマり日テレと祖師ヶ谷大蔵に通った。何回も鳥貴族に行った。日帰りで北海道にも行った。雪で帰れなくなり空港の床で寝た日もあった。舞台を観に行ったら当日券で前から2列目?とかが出て震えたりした。泣いたり笑ったり、色々あった。

破門を観まくっているうちに就活が始まり、幕張メッセの合説帰りの電車でワッハッハーを聞いて泣いた。Tokyoholicを聞きながら大人はクソ!東京はクソ!と思った。ジレッタの公演期間中に内定をもらった。JAMのときには福岡で内定者研修→夜に東京に戻る→翌朝オタク装備で福岡に戻る、という謎行動をした。

社会人になってすぐ大阪に泥棒役者を観に行って、なんだ会社員もオタクできるじゃん!とヘラヘラしていたらすばるくんが別の道へと進むことになった。この世の終わりかと思った。

仕事で札幌も台湾も行けなかった。意地になってグッズを買いに台湾に行った。ノリでハワイに行き、亮ちゃんのアナザースカイ巡りをした。ハワイにいる間に引越しを伴う異動?が決まっていて笑った。引越しが終わったあとも遊びまくった。十五祭では初めて東京ドームホテルに泊まり興奮した。が、人生はジェットコースターなのですぐに落下した。10/1にはまた急上昇して、亮ちゃんのライブを見に豊洲に行った。USJにも行った。自らジェットコースターに乗っている。泣いたり、笑ったり忙しかった。

この辺から関ジャニ∞との記憶が曖昧になる。関ジャムフェスで5人って少ない!!!ちょっと無理かも、、!と悲しくなった日もあった。

歓喜の舞台と凛が私の好みだったことは大きかったと思う。少ない!辛い!の感情が徐々に薄れてきて、8BEATはめちゃめちゃ楽しみだった。ちょうどその頃勤務先が変わり、しばらく実家から仕事に通うことになった。つぎ一人暮らしの家に帰るのは横アリ公演後にお母さんが泊まりに来るときだったので、関ジャニ∞グッズを並べてコンサート終わりの私たちを迎える仕様で家を出た。

で、とにかく楽しみだった8BEATの2日前とかかな。おばあちゃんが亡くなった。2公演行く予定だったチケットは、アルトサックスの子とお兄ちゃんの彼女が引き取ってくれた(彼女はこの公演をきっかけに安田担になる。あと、のちに家族になる)。

8BEATに行くはずだった日は告別式だった。帰り道にアルトサックスの子から「横山から伝言です。東京ドームで会おうね!だって〜」とLINEがきてめっちゃ泣いた。一人暮らしの家に帰ったら、関ジャニ∞のグッズやぬいが並んでいてめっちゃ泣いた。結局8BEATは1公演も行かなかった。

お友だちが誘ってくれて年末にはカウコンに行った。凛を聞くことができて、ここでもめちゃめちゃ泣いた。

 

2021年(というかもうコロナ禍全部)を回収するかのように、18祭では夏も冬もはしゃいだ。就職したとき希望休を出せる状況ではなかった私は、いつのまにかシフトを作る側になっていた。夏はお母さんと2公演入った。お兄ちゃんと最高の姉も別の席で同じ景色を見ていた。家族が増えるっていい!冬はお友だちやお兄ちゃんと一緒に入った。勝手に仕上がれでヤスくんが「エイターが泣く姿 もう見なくて済むように〜」と歌っていて、ハァ!?泣いてないし!!ウチら泣いてなんかないし!?!!いっぱい泣いたけど!!!!!と感情がぐちゃぐちゃになった。楽しかったなぁ、人生〜。

そして去年の夏、1人で飛び込んだ前夜祭も楽しかった。数年ぶりに手繋ぎをした。人生!青春!だった

おばあちゃんの3回忌に向かう車の中では、母・兄・最高姉・私の4人でたくさん関ジャニ∞の歌を歌った。兄と最高姉の結婚式でも関ジャニ∞の曲がたくさん流れていて、兄は安田くんのうちわを持たされていた(よく見るやつ!)。

 

サッカーを観ながらつらつら書いた。書き直す元気もないのでこのまま残しておく。

 

今日フォロイーさんの「私と関ジャニ∞」を読んでいる途中に、アルトサックスの子から「サブスク解禁したんだね!?」とLINEがきた。みんなそれぞれ自分のペースで応援していて、みんなの人生に関ジャニ∞がいるんだな〜すごいなぁ〜と思った。

 

おかべろで横山くんが言っていましたが、これからの活躍も楽しみにしています。大好きだし、人生だから!!!!!!!!!!

いつだって最高で最強でいてくれてありがとう!!20祭楽しみにしてるよ〜〜!!!!!